大ピンチは時に人生のターニングポイントであり得る
強烈な願望として、寝ても覚めても四六時中そのことを思いつづけ、考え抜く。頭のてっぺんからつま先まで全身をその思いでいっぱいにして、切れば血の代わりに「思い」が流れる。それほどまでにひたむきに、強く一筋に思うこと。そのことが、物事を成就させる原動力となるのです
from 稲盛和夫【生きる】
上記は、京セラ創始者、日本航空再生者 稲盛和夫さんの哲学です。
私のシングルマザー子育て時代はまさに お金のやりくりで、【頭のてっぺんからつま先まで全身をその思いでいっぱいにして、切れば血の代わりに「思い」が流れる。】そんなひっ迫した状況の日々を何度も経験しました。一文無しになる日なんて当たり前にありました(笑)14年間をなんとか乗り越えてこれたのは、 強く一筋に 離婚したことで子供の可能性や幸せを踏みにじりたくない!! と思い続けてきたからなのかな と 今振り返って感じています。
何回も ピンチはありましたが、、、
その大ピンチが私たち三人のターニングポイントになった一例を ひとつ。
長女が高校二年生の夏。大ピンチがやって来ました。
娘は 中学生の時の成績で学費全額免除になる特待生としてある私学の高校に進学をしていました。
学費全額免除 (年間約50万)といっても、私学はそれと同等額ほどの収めるべき諸費用があります。はい、そんなことは入学前から認識はしていました。ので必死に 特待生になるのを諦めるように頑張ったのですが、、、このあたりの話は、ここでは割愛させていただきます。
居住する市の 高校生就学安心制度の奨学金を毎月30000円借りていました。
年間でトータルすると、なんとか支出に間に合う計算でしたが、まとめて収める金額と入金されるスピードに差異があり、貯金などもなく、弟のほうの支出もあったりと、、、大ピンチが訪れました( ノД`)シクシク…
ネットでいろいろ行政の貸出金制度を調べ、福祉事務所で一時金50000円を借りれる制度にたどり着きました。
意を決して、初めての福祉事務所へ。
お給料明細書と、母子家庭手当の明細を持参し、5万円を三ヵ月間貸してほしいのですが、と
私より目上の女性職員さんにお願いしました。彼女は、ちょっと計算してみるわねと
電卓を、、、
そこで聞いた 驚愕の答えは、、、
うわー、、残念だけど貴女のこの収入でお子さん2人なら 収入が低すぎて5万円はお貸しできないわ。。。
え???私のこの月収なら母子家庭手当は一部支給になりますと、差し引かれているのに、、
福祉事務所で5万円貸してもらえもらえないほどの低所得者だなんて
意味が分からないです。。。と 涙がこぼれました。
職員の方が、
貴女の収入で三人家族なら生活保護世帯ですよ。
その言葉にまた涙が、、、、だって私は一応正社員なのですから。小企業で不当な扱いを受けていたのですね、、、、
お子さん これから出費が増えるわよ大学だっていかせてあげたいでしょう?今の生活じゃ絶対無理よ。
生活保護課に今から 依頼書を書いてあげるから、すぐに市役所に行きなさい。と
貴女のココロに寄り添いお話を聞かせていただきます 波乱万丈の人生経験済みの★心理カウンセラー★愚痴などもOK
職員さんは、私が 車も貯金も所持していないこと。借金がどこにも無いこと。を確認され、現在住んでいる家賃(64000円)もそんなに高額ではないので強制的に引っ越しを促される事もないと言ってくださいました。
『生活保護の審査は厳しいけれども あなたがこうして福祉事務所に一時金を借りに来た行為は評価されると思いますよ。福祉事務所で援助できないのだから、、必ず今から生活保護にいってくださいよ。』と背中を押してもらいました。
さて、生活保護課では、、、その依頼書のおかげで丁寧に厳格に親切に対応してもらえました。
すぐに動きますので、すぐに書類をすべて持参してもらえら、本日家庭訪問いたします。と
残高が限りなく0に近い全ての通帳、家の賃貸借契約書、給料明細、母子家庭手当の紙。入っている生命保険の証書(共済保険はOK)住民票など。
そのうえで、自宅に来られて、全部屋を見て回り、間取り等を詳細に書かれてました。そして生まれてから、現在までの経歴を全て口頭で質問を受けました。全てです!!どこで生まれて、どの小学校に行き、、、、、あと両親、兄弟の状況。
この後 元夫、両親、兄弟に書面で、各人の生活状況を聞き 生活保護受給者の援助は出来かねないことを確認するということでした。この調査は一年に一度継続するということでした。
まさか自分が生活保護を受ける状況にあるとは想像もしていませんでしたので、これまで福祉課で相談することもありませんでした。
申請はすぐに受理され、私の家族構成で必要な生活費から、私が得ているお給料、母子家庭手当を引いた差額を毎月いただけるという有難い生活を子供が高校を卒業するまで続けることができました。(金額の上がり下がりはありました)。三ヵ月に一度の家庭訪問と、二か月に一度だったかな?収入の申告に福祉課に出向きました。
5万円を貸してもらえない(´;ω;`)ウッ… といった大ピンチがじつは、私たち三人家族にとって大きなターニングポイントになったのです。
本当に 感謝の涙が溢れ、生きてゆく希望に心は弾みました。
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